主の御名を賛美します。
愛する兄弟、姉妹の皆様、いかがお過ごしでしょうか。
復活社代表・塚田喜一の妻、容子と申します。
復活社が誕生して8年、本当にいろいろな方にお会いし、お世話になってまいりました。
夫が復活杜を始めたいきさつは、ずいぶん前のことですが「恵みの雨」2005年4月号に載せていただきました。
 夫は当初、葬儀社を立ち上げるのに大分葛藤がありました。自分は参謀タイプであり、リーダーではない、というのです。
しかし(2001年1月1日、たまたま参加した聖会で「私はあなたを尾とはしない」「ヨルダン川を渡りなさい」というに啓示が与えられ、葬儀の仕事を始める決心をしたのです。
葬儀社の名称を『復活社』と決め、創業の日は名称にふさわしくイースターの日にすることになりました。
しかし、私は不思議でなりませんでした。葬儀社を始めるのはいいけれど、なんにもないのです。
経験だけは豊富ですが、棺一つ用意しないで、夫は一体どうするつもりなのでしょうか?
しかも、近くの教会に50通ほどダイレクトメールを送っただけです。
ところが、まさに復活祭の日、礼拝が終わったあと、問い合わせの電話がはいりました。
危篤の兄弟がいらっしゃるとのこと。
仕事開始と決めた日に、依頼が来たことにも驚きましたが、何の問題もなく葬儀が済んだことにはもっと驚きました。
ほんの短い間に様々な手配をしてしまう夫は、まるで手品師のようでした。主の励ましを感じたと同時に、夫の賜物を知りました。
 あれから8年。優秀なスタッフも揃い、さまざまなケースに対応できるように成長しましたが、夫の姿勢は変わらないな、と思うときがあります。
家庭人としては、奇行の多い変人ですが、仕事の時は別人です。骨惜しみせずよく仕え、ご遺族にも教会にも頼りにされるプロフェッショナルです。
 時々「ご主人が葬儀の仕事を始める時、反対はなさらなかったんですか?」という方がいらっしゃいます。
たぶん葬儀屋という仕事は、歴史的にも世界的にも、最下層の仕事であると認織されることが多いのかも知れません。
けれども私は一度もそんなふうに考えたことはなく、むしろ誇りに思うことが多いのです。
悲しみの中にも再会の希望がある葬儀は、慰めに満ちています。
召された兄弟・姉妹のキリスト者としての生き方のお証しをご遺族の方から伺ったりすると、感動のあまり大泣きしてしまうこともしばしばです。
 昨年、息子が高校生になったのを機に、わたしも復活社の仕事に専念することになりました。
まだまだ未熟者ですが、夫のよき支え手になりたいと願っています。
 どうぞよろしくお願いします。